Semanticsという学問がある。「意味論」と訳すのだが、論理的な思考と行動をする時に必要な「言語」について研究し、それによって人間がいかに反応するかということを深く理解するための学問で、アメリカで発達したものである。S.I.ハヤカワ氏の「思考と行動における言語」が、大久保忠利氏の訳で世に出たのが1951年であるが、私が手にしたのはその第二版(1968年)である。その訳者の序に「訳者は、特に今日の日本人一般の言語意識を幾分でも高めるとともに、「言語の魔力」から日本人を解放するために、アメリカの社会を背景に生まれたこの書が何等かの役に立つであろうことを期待する」と記しているが、残念ながらその後の日本においては、意味論的な言語機能をきちんと身につけた日本人が多く輩出されているという状況にないようだ。憲法論議にしても、安保論議にしても、経済における外圧論議にしても然り。国家元首ですら「言語明瞭、意味不明瞭」などと酷評される国は世界的に見ても珍しいだろう。この50年間で、日本人が犯した最も重大な過失は、このsemanticsを無視して世界と接してきた事だ。「戦争放棄」「非核」とは何を意味するのか、「日本が世界経済の中でどのような役割を担うのか」を説明し、その行動の意味を誰もが理解出来るように努力してきたか、「民主主義」とはヒトがどんな行動をとり、その結果どのような「実と害」をもたらすシステムなのか、本当に考えてきたのか、自らを振り返ってみると実に怪しい。「海外援助」のもとに、国民の税金で買われた高額な医療機器が、それを操作する技師がいない、ということで何年も雨晒しになっているという状況、あるいは、「アフリカのある村で、日本の援助により小規模の発電設備が設置され、脱穀製粉の機械が動かされるようになった。しかし、それまでの臼でトントンやるのと違っていっぺんに大量の粉が出来るようになった結果、食べ過ぎになり、畑が足りなくなり、灌漑用水も不足するようになってしまって、細々ながら安定していた村人の生活が破壊されてしまった」ことなど、美辞麗句に隠された「無意味な」行動の代表的なものであろう。
この状況が、医療・医学の世界でも同様に存在する。最近では「インフォームド・コンセント」なる言葉が一人歩きをしている。これは、アメリカ社会という好訴的状況のもと、市民と医療者側とが同じ土俵の上で裁判を戦うための「法的要件」であり、決して「医師が詳しく病状を説明する」という意味の言葉ではない。それを、社会環境が異なり、特に法的環境が完全に異なる日本に「訳して」持ち込むこと自体が間違いなのだが、誰もそれに気付かない。持ち込むのなら、「システム全体」を持ち込んで議論し、法環境も含めた新しい医療環境を整備していく努力を、行政府も立法府も払うべきである。そのときには、今の日本では普通である「良好な医師・患者関係」が大きく崩れて、好訴的な患者から身を守るために、医療者が自己防衛的になっていくのも仕方ない、と諦めるのか、「いやいや、もっとドライな関係で(医療サービスとして金額に見合った分だけ受けられればそれで)良い」と積極的に受け入れていくのか、日本の市民が全体で議論すべきで課題であろう。しかし、我々はアメリカの医師のように弁護士を三人も雇って医事紛争を戦うような医師には決してなりたいとは思わないし、それだけの財力も日本の一般的な保険医は持ち合わせていない。
日本人は、情緒的な人々である。これは、論理的な思考を十分に受け入れるのに慣れていないことを示す。ある意味では、アニミズムの系譜から抜け出ていない意識を我々は持っているといえよう。物事を総体的に、直観的に把握する能力は優れているので、文化的には優れたものを作り上げてきた(「もののあはれ」に代表される文学、ヨーロッパ文化に影響を与えた浮世絵や着物などの美術工芸品、生活を豊かにする茶道・生け花・書道や、心と身体の研鑽のための剣道・柔道・空手道など)が、事物を分解して再構築し、定義し、理解・認識するという科学的な手段をとるのが苦手だ。「かかりつけ医」に関しても、同様なことがいえる。ここ数年来、いろいろな説明会や研究会で「かかりつけ医とは何か?」と質問してきたが、厚生省からも医師会からも明確な回答は得られなかった。あたかも、「森には木の精(=神)が住んでいる」と山村の住民がかつて信じたように、漠然として形のない「かかりつけ医」があたかも存在するかのように吹聴している。我々は日本人であるので「何となく分かって」しまうのだが、よくよく考えてみると、この名称があまりにも無意味な言葉であることが分かってくる。
「辞書は内在的意味(言葉が観念的な頭の中だけに存在している状態)の世界をあつかっている。しかし、辞書がその性質上無視している別の世界がある。すなわち外在的意味の世界である。ある発言の外在的意味(the external meaning)は、それが外在的(物理的)世界において指しているものである。外在的な意味をいえといわれた時は、いつでも、自分の口を手でふさいで、指でさせばいい。(あるいは、これこれしかじかのものをいうのだと、その属性を一つ一つ具体的に現実に存在する事物として説明すれば良い)」というハヤカワ氏の言葉を借りれば、「かかりつけ医の外在的意味」とは、自分たちが病気で「自分や家族がかかっている=受診している」医師で、「なにかにつけ(かぜをひいた、転んで擦りむいた、お腹が痛い、子供が学校へいかなくて困る、等々)お世話になっている」医師である、田中先生、石田先生、渡辺先生等々の実際の先生方を指す言葉なのだ。本来なら、欧米でいう「home doctor」あるいは「family doctor」「primary physician」と同意語であるはずだが、英語の嫌いな名付け親がこのようなファジーな言葉を持ってきたためにその内容が不明瞭となってしまった。
一昔前の日本の医療環境の中では、実質的なかかりつけのお医者さん(主治医)を誰もが持っていて、何かというと相談を持ち込んだ。必要があればより専門的な医師を紹介したり、手術や精査のための病院を紹介した。そこから帰ってくれば、また同じようにかかりつけの医師として診療を継続した。こうして10年、20年と診療していると、子供ができ、孫ができ、お年寄りを看取ることもあり、家族全員を一つの家庭の構成員の一人一人として診療することができるようになった。時に往診もするから、家の中も家庭の内情も分かってくる。Aさんのところでは在宅での治療が十分可能だが、同じ病気でもBさんの家庭では無理だから何とか入院に持っていこうか、などと判断することが可能になるのだ。こうした技術は長い臨床経験に裏打ちされたものであり、習得するのに年月を要する。一朝一夕にインスタントラーメンのように三分で出来るものではない。患者の方にも勿論医療を受ける側の相性があるから、この先生、あの先生と何人かを品定めして信頼できると踏んでからお世話になる。これにも時間がかかる。イギリスのGP制の元でさえ、人頭割で割り当てられても自分の気に入った医師を選択する権利はきちんと存在する。気に入らなければそのグループの中から他の医師を選ぶ事になる。
日本でのある調査によると、地域の中でかかりつけの医師を持たない患者は40%になるという。その原因はいくつかあるが、大きく分けて患者側の社会的変化と、医師側の社会的変化に分けられる。前者の要因としては、1)交通手段の発達とともに住民の転出・転入が流動的になり、勤務地と住宅が離れることによって地域住民としての意識が薄れてきたこと、2)日本の社会が「イエ」や「家父長制」を捨て、個人主義、核家族化、家庭崩壊などといった大きな変革期を迎えて、ムラ的な環境の中での医師・患者関係が次第に希薄になっていったことが挙げられる。また、後者の要因としては、1)代々医師であり、住民の間で長く敬愛されていた医系家族が次第に減って、地域医療を目指す若手の医師が少なくなったこと、2)その反対に地元出身ではない新規開業の医師の数が増え、ビル診療などで他地域に住みながらビジネスとしての医業を行うものが増え、なおかつ勤務医として病院内に留まる医師の数が増えたこと、3)ここ50年の医学そのものの進歩が急速で、その早さに付いていけず、ある部分の開業医達は病院医療に対抗する水準の高い医療技術を維持できなくなったこと、4)今まで地域医療を担ってきた医師達がすでに老齢化し、病院から排出される中等度以上の患者を引き受けて、若いコ・メディカル達と連携を取って在宅医療を展開する意欲が薄れかけていること、などが挙げられる。こうした変化を無視して、現代社会の中から消えていった亡霊のような医師像を突然持ち出し、今日本は「かかりつけ医」の大安売りをしているように見える。
元々は医療行政の失策によって病院医療が機能疲労を起こし、看護婦不足や国公立病院の赤字体質を来したのだが、その皺寄せは患者に押し寄せた。そのために長期療養患者が外へ出させられ、それを引き受ける受け皿としての訪問看護ステーションや在宅医療体制の強化が始まったのは、つい5、6年前のことである。高度老齢化が叫ばれて、介護保険が導入されようとしているが、日本だけが高度老齢化社会ではなく、先進国はかなり前からその経験を積んできているのだ。高齢化率の急速な変化は、出生率の低下と相まって計算上導き出されたことであり、日本人だけが「どんどん老化して動けなくなっている」訳ではない。それなのに、何故そんなに医療環境の変化を加速させなくてはいけないのだろうか。ここが理解に苦しむところだ。もっとゆっくりと、日本人がお互いに了解した結果として緩徐に、しかし確実に良い方向に変化していく方が望ましいのだ。
今、各地で「かかりつけ医推進事業」なるものが展開されている。これは、かかりつけ医がいない患者にかかりつけ医を紹介するという活動をしているが、今まで述べてきたように、患者にとってのかかりつけの医師とは、その地域で自然発生的に生まれてくる、ふくよかな良質なワインのようなものだから、紹介されてうまくいく(患者も医師も満足する)ケースは今のところ少ない。その逆に、単純に割り付けられて、医師も患者も迷惑している例があって各地に波紋を広げている。これでは、地域の開業医と患者の関係を壊していき、望まないのにお互いの不信を煽ることになるのではないかと心配している。
さて我々は、「かかりつけ医を推進する」意味合いが、まさに平成12年に始まる介護保険を睨んでのことだと認識し始めた。介護保険事業は介護支援専門員(ケアマネージャー)という新しい職種を作り上げたが、その全体像は必ずしも明確ではない。多くの福祉・介護情報を収集し整理し理解し、患者側の要件を的確につかんでプランを立てるやり方は、生命保険のプランナーの役割に似ているが、これとて長年の経験がものをいう仕事だから、今まで介護・福祉の仕事にたずさわったり、看護職として患者側の生理や心理を理解しようと努めてきたものでなければ「良質なプラン」の作成やマネージメントは望むべくもないだろう。患者の主治医との連携も、はたしてうまくいくものなのか心もとない。
介護保険では、「かかりつけ医意見書」をその必要要件としているから、「かかりつけ医」というのが必要になった、そう理解してよい側面がある。主治医とすれば良いものを、なぜ「かかりつけ医」としたのかが肝心な点である。ここには、日本的な曖昧さと、患者の主治医になった医師には、「かかりつけ医機能」を持ってもらいたい、という切なる希望があるからだ。先程から述べているように、一昔前のかかりつけ医は自然消滅しかけている。これは日本の医療事情が歴史的に変化した結果であり、不可避なことである。しかし、在宅医療を普及し、一般化していくためには、「いつでも、どんな医学的なことでも相談に乗ってくれて、必要なときには適切な病院を紹介してくれたり、24時間体制で見守っていてくれる」主治医が必要であり、彼等を地域の中で大切に育んでいかなければならない。国は、日本中の医師に、こうした心ある医師になってもらいたいと思っているのだから、そうした医師達を育成し、地域社会の中で敬愛される医師像をもう一度作り上げるための多大なる援助を経済的な基盤も含めてしていくべきだろう。ただ単に、介護保険の意見書を書くためだけに、かかりつけ医という役割を振った、というほど馬鹿な計画を立てた訳ではないと思う。介護保険の良い点を膨らませて、地域医療を振興していくという筋書を書くべきだ。
最後に、「かかりつけ医」の操作的定義(operational definition)をしてみよう。まず第一に、日本の現在の医療状況の中では、GPあるいは総合臨床医という概念で、お産から中耳炎、神経内科疾患から骨折のギブス巻きまでの一般臨床をカバー出来る医師はいないといって良い。それなら、ある程度広い臨床範囲をカバーできる医師とすれば、それは臨床内科医か、または臨床外科医であるといって良いだろう。しかも、全人的な医療を心がけ、患者の全体像、家庭を含めた健康管理を行っている医師と規定しても良い。経験年数は卒後10年以上で、往診または在宅医療を積極的に実施している医師が望ましい。空間的な距離としては、一般的に都会では診療所から半径3Km以内の患者を、地方では半径10Km以内の患者を対象としている医師と考えてみたい。一年間で2回以上その医師を受診して、患者・医師関係が緊密であり、相互に信頼して、医師の医療管理に関する説明を良く理解し、実施できる患者関係が出来上がっていれば、それは「かかりつけ医と患者の関係」であると考えてよいだろう。
今後、こうした本当の意味での「かかりつけ医」が根付くように、地区医師会や若手医師のネットワークを通じて働きかけていかなければならない。そして、こうした基盤整備が出来ないうちには、医師はそう急がされても、「出来ないものは、出来ない」と正直にいうべきであり、「皮膚科医でも耳鼻科医でも介護保険の意見書を書くかかりつけ医(主治医)になってほしい」といわれても、「それは無理だ」とはっきり断わるべきである。「それじゃこの介護保険プランはやっていけません」といわれたら、「そんな無理な計画を立てた、あなた方が悪いンですよ。やり直しましょうよ、一緒に。手伝いますよ、新しい計画を立てるために」と、改めて語りかけてみてはどうかと思う。