『いま、居宅療養管理指導を再考する』
神津内科クリニック
神津 仁
はじめに
介護保険制度が立ち上がって3年半が経過し、国民の大多数はこのシステムをようやく理解するようになったようだ。以前は公的福祉に頼っていた人々が、保険料を自ら支払うことによって、その見返りとしての介護サービスを堂々と受けるようになった。ここでは、国民の権利意識が良い意味でうまく活性化されているといえよう。しかしながら、個々のケースについては、必要なサービスに濃淡が出来てしまうのは致し方ない。必ずしも現在の受給内容が、国民全体に平等であるとは限らず、ここに制度としての難しい部分がある。しかし、現場での対応はフレキシブルで、今のところ大きな混乱なく実施されているところを見ると、日本人は明治以来の優れた適応能力を発揮しているといえる。そんな中で、平成15年4月に介護報酬が改定された。ここでは、居宅療養管理指導を行う側から見て、そこにどのような感慨が生まれたのかを書かせていただき、そして今後行われるであろうさらなる国の施策に対して、現場からの率直な意見を述べてみたい。
居宅療養管理指導費の変更
従来、居宅療養管理指導()は、「医師又は歯科医師が行う場合」月1回940単位を請求するものであった。すなわち、居宅療養管理指導事業所の医師または歯科医師が、通院困難な要介護者等に対して、訪問して行う計画的かつ継続的な医学的管理および歯科医学的管理に基づく、本人の同意を得た上での居宅介護支援事業者等に対する介護サービス計画の策定等に必要な情報提供、介護サービスを利用する上での留意点、介護方法等についての利用者および家族等に対する指導・助言を行った場合に、1月に1回限り算定するものであった。資料として青森県が出している「居宅療養管理指導の運営規定(案)」を載せたが(表@)、従来から医療機関が行ってきた患者指導と特別変わったことではないが、文章化されてその対価が支払われるという意味では、医療者の「無形のサービスとソフト」が評価されたもので、歓迎されるべきものであった。これが、今回の改定で1回につき500単位となり、「医師又は歯科医師が行う場合」月2回を限度として請求するものとなった。必ず月に2回管理指導を行えば1000単位となり、改定前より60単位多くなる。しかし、月に1回だけ指導が行われた場合では、改定前は毎月940単位が請求できたのに対して、改定後は500単位となり、同じ内容であっても指導費が改定前後で大幅に下がることになった。
同じように、居宅療養管理指導()は、「医師又は歯科医師が行う場合」月1回510単位を請求するものであった。これは、寝たきり老人在宅総合診療料を算定する患者に対して、訪問して行う計画的かつ継続的な医学的管理および歯科医学的管理に基づく、本人の同意を得た上での居宅介護支援事業者等に対する介護サービス計画の策定等に必要な情報提供、介護サービスを利用する上での留意点、介護方法等についての利用者および家族等に対する指導・助言を行った場合に算定するものであるが、今回の改定で1回が290単位となり、2回指導を行った場合には580単位と改定前より70単位アップとなった。しかし、月に1回だけ指導が行われた場合では、改定前は毎月510単位が請求できたのに対して、改定後は290単位となり大幅ダウンとなる。
介護報酬改定を議論する社会保障審議会介護給付費分科会に提出された「介護報酬見直し案の概要」には、「きめ細かく個別的な指導管理の充実を図り、利用者の在宅生活における質の長期的な維持・向上を目的として、居宅療養管理指導を再編」とある。ここに、飴と鞭を使い分ける方法が隠されていると感じるのは勘ぐり過ぎだろうか。「たくさん働けば見返りを払うが、働きが悪ければ今まで約束してきたものも支払わないぞ」という姿勢に思えるのは、ここのところ小泉改革とかで医療を改革すると息巻いている政府に割を食わされている医師の僻みかもしれない。医師は医業を営んではいるが、医師個人の感覚からすると「営利を追求する経営」を目的として日常診療を行っている者は少ないと思う。もちろん、臨床医としての力不足や興味不足から、ビジネスとしての病院経営を行うことに興味を持つ者もいるが、それは例外的な医師である。大多数は医療を必要としている目の前の患者に、適切な医療サービスをいかにして提供するか、と腐心するのが医師の本分と心得ている。昔から、医師は善良な人間の代名詞である。実際のところ、介護保険が導入され、有無を言わせぬ国の性急な要求に対して、善良で社会の動向に疎い医師たちは、あまり真剣に考えもせずに医師会を通じて「居宅サービス事業者」の登録をしてしまったようだ。国は医療機関に「みなし事業者」という仮面をくっつけて、介護保険では「あなた方は医療サービスを行う医療機関ではなく、居宅サービスを裏書きする事業者なのだから、そのように振舞ってもらいたい」と指示をしたのと同じことになった。
実際には、かかりつけの患者に在宅医療を行い、その患者が介護保険を受けるために必要だから、居宅療養管理指導を行う、というケースがほとんどだろう。改定されたからと、事業者として経営のために無理をしてわざわざ必ず2回に回数を増すという家庭医は少ないはずである。医療現場では個別対応が原則だから、一律増加という現象は起こらないし、結果としてあまり収支は変化しないのではないだろうか。それよりも、昨今の全体的な医療保険点数の削減や、老人の窓口負担、社会保険本人三割負担の影響による大幅な医業収入の減少の方が深刻だ。自転車操業をしている医療機関にとって、支出が全く変わらないのに、医業収入がある日突然、自分たちの怠業でも失敗でもないのに、急激にダウンしてしまうという事態が起こったわけである。こんなことが許されていいのだろうかと思っている医師は多い。私のところでの介護保険関連の居宅サービスによる保険請求は11~13名であるから、月にして改定後に最高で1300円×11~13=14300円から16900円上がることになるが、実際の増加は6800円にとどまった。これだけのために、我々がどんなことをすると期待しているのだろうか。恐らく、財務省はこれに全医療機関の数を掛け、平成10年の医療機関数を例に取れば161540施設であるから、1.69万円×161540=27億3002万6千円の増額を行ったのだといいたいのだろう。しかし、現場の感覚を理解できないで、このような試算を繰り返していても、机上の空論に過ぎない。医師は自律したspecialistである。テレビ朝日の特別番組「全国一斉IQテスト」で優勝したのは地域病院の初老の院長だ。小手先の利益誘導に乗るはずもない。
医療と介護は切り離せない
介護保険が始まってはっきりと分かったことは、医療と介護は切り離せないということだ。国の財政と、保険、福祉・年金の問題とは完全にリンクしているが、それはこの国をどのような方向へ持っていくのかという、国のあり方に関わっている。北欧型の社会主義的、高負担・高福祉の社会を選択するのか、アメリカ型の競争社会、低所得者切捨て型を選択するのか、その方向によって重点をどこに置き、切り分けたものをどこに配分するかが決まってくるわけだ。それは国民が決めることであり、国民が決めた政府によってその方向が決められていくことになる。しかし、どちらの方向を目指すにしても、介護の必要な人に、医療が不必要であるわけがない。これを、政策論や経済論で便宜的に分けようとしても、実態は不可分なものであるからそこには無理がある。
前に述べたように、医療機関を便宜的に介護保険の事業者とみなしても、事務所で新聞を読みながら待っていて、お客さんが来たら接客し、「必要なサービスを見繕って差し上げます」といった仕事を我々医療機関はしているわけではない。患者の家族から話を聞き、往診をして診察をして身体所見を取り、精神状態をチェックし、必要があれば採血をし、処置をし、薬を処方し、訪問看護師、介護福祉士・ヘルパー、ケアマネージャ等と連携を取って、夫々に指示を与え、家族を労い、次の訪問までの療養計画、ケア計画を立ててそれを推進させる、という日々を繰り返しているわけで、この活動は医療専門職としての活動以外の何者でもない。医療現場で働く医師も看護師も、医療の手が必要な患者のために日々努力している日常そのものなのだ。介護現場には医療者がいて、医療現場には介護者がいる。もしこの両者を意図的に切り離そうとするなら、医療の質も介護の質も格段に低下するしかないだろう。そうさせないために、ある意味で、我々は犠牲を払っているのだ。
在宅医療とホームケア
日本の医療費は、GDP比で先進諸国と比較するとまだまだ少ない負担だといわれている。今後、高度高齢化社会が進むにつれて、次第にその負担も増加していくことは明らかだ。しかし、その医療費の殆どは日本の医療機関全体からすると約一割の、高度先進医療を行う大学病院や大規模な病院医療施設群に集中して使われている。このままでいけば、地域医療を担う家庭医は、安い単価で質の良い医療を涙ぐましい努力で提供し続けるという将来の構図が見て取れる。しかも、日本の入院病床において欧米並みの在院日数の短縮を達成させるとすると、120万床ある現在の病床数が60万床に削減されるだろうという予測が立てられている。後の60万床の患者はどこに行くかといえば、長期療養型病床または老人保健施設や特別養護老人ホームであるが、その絶対数は足りていない。とすれば、残りのかなりの数の患者は、望むと望まざるとに関わらず自宅療養を強いられることになる。そこで重要なのは、地域における在宅医療の推進である。欧米はすでに長い期間を掛けてこの高度高齢化社会に対応すべく、病院での入院医療、クリニックでの外来医療に続く、第三の医療としての在宅医療を発展させてきた。アメリカではすでに全医療費の約5%が在宅医療に使われており、そのガイドラインも示されている。医療機器のダウンサイジングとIT化によって進化した在宅医療システムは、現場で実質的な医療サービスを提供する看護師や医師、コ・メディカルスタッフによって、質の高いホームケアとそれを支える在宅チーム医療を展開することを可能にした。さらにいえば、医療経済的な観点からも効率的であることが期待されているのだ。
いうまでもないが、在宅医療は患者の居宅を中心として、患者や患者家族の見ている前で行われる医療サービスである。手品師でもない限り、全ての手技、すべての治療は、その間違いも含めて白日の下で評価される。その評価に耐えうる医療を提供できなければ、在宅医療は成り立たない。その意味では「究極の開示医療」であるといえるだろう。在宅末期の医療にしても、スパゲティ症候群といわれる夥しいチューブをつけた状態で、家族の暖かい手も差し伸べられない病院の医療は、人に優しい医療とはいえない。それに比べると、在宅医療は自然の死に近い状態で、家族の暖かな愛に包まれて最後の時を迎えられる、人に優しい医療だといえるだろう。死期を伸ばすだけのために行われる高額な処置や薬剤の投与も行わないから、医療費を上げる心配もない。いわば、low risk, low cost, less powerである。IT化が進歩すると、high technologyであり、在宅医が医療者として高い倫理性と医療技術を持ち、全人的な医療を展開する優秀な医師が多いことからすると、high
performance, humanityといった三つのLと三つのHが重なる医療であるといっても良い。こうした在宅医療とホームケアが一体となった環境が日本に作られなければ、いかに居宅療養管理指導改定が行われようとも、心のこもった介護保険制度にはならないだろうと思う。
介護サービス提供の問題点
ここで、実際の介護サービスの実態を見てみよう。日医総研の調査によると、足腰の機能の衰えから摂食障害へと進む高齢者の状態像の変化が明らかとなり、利用サービスの分析と合わせると、介護保険のサービスが機能低下予防には使われていない、という調査結果が示された。以下JPNニュースから転載してみる。
調査は島根県と日医総研が共同研究を行ったもので、「介護サービスの有効性評価に関する調査研究~第1報:ケアマネジメントの現状と今後のあり方~」である。「高齢者の自立支援」という制度の理念に沿ったケアマネジメントができているか、を見たものである。
対象:島根県松江地区、出雲市、邑智郡瑞穂町の3地域で、2000年10月からの2002年までの2年間に要介護認定を受けた高齢者から、認定状況や利用サービスなどの情報が得られた計1万2479人(新規、途中死亡を含む)を追跡調査行った。調査対象のうち2年間継続して要支援以上に認定されたのは5654人。
結果:当初要支援だった人のうち、2年後も状態を維持できていたのは39.6%で、残り60.4%は悪化していた。在宅・施設別にみると、2年間在宅で介護を受けていた人では、7.7%に介護度改善が見られたのに対し、特別養護老人ホームでは1.5%。介護度悪化率も在宅の方が低く、在宅ケアの方が改善率・維持率ともよいことがわかった。ただしこれは要介護2までの傾向で、要介護3以上になると在宅・施設の間に差はない。また要介護認定調査で、介護度別に機能低下が目立ったチェック項目をランク付け。要支援からの悪化では「浴そうへの出入り」、要介護1からは「ズボンなどの着脱」、要介護2からは「排便後の後始末」、要介護3からは「移乗」、要介護4から5では「食事摂取や嚥下」の各機能が低下していた。一方で、要支援の人の多くが歩行はできるのに、家事援助サービスや車いすなどの福祉機器貸与サービスを使っているというデータもあり、機能低下予防というよりは、介護者の負担を減らすためにサービスが使われていた。
こうした実態は、医療と介護を分離した時点で予想されたものである。医療行為の中には、患者の身体機能改善のために、多少の苦労もしてもらうというリーダーシップも含まれる。肥満を解消して、膝の負担を軽くするためには、食事療法もカロリー制限もしなければならない。自分の足で立つためには、大腿四頭筋の筋力を高めなければならないし、そのためにはリハビリテーションが必要だ。脳梗塞の再発を予防するためには、血圧のコントロール、血糖のコントロールが必要であり、そのために必要な薬を毎日定期的に服用しなければならない。それらがうまく機能して、それに加えて介護サービスが入って患者のADLを高め、身体の清潔を保ち、結果として健やかな生活を送ることが出来るようになるのである。
今後の居宅療養管理指導を行うに必要なポリシー
現場でいつも疑問に思っていることは、介護保険導入の際にベーシックなシステムとして導入された「ケアマネージャ」なる専門職のことである。介護サービスを利用者と共に設計し、その妥当性をサービス提供者である各職種を集めて行う「ケア会議」で検証し、経過と共に変化する利用者の状況を把握し、利用者の自立を促していくというのが当初の計画であったのではないだろうか。私も、日本訪問看護振興財団のアドバイザーとして、ケアマネージャ教育とケア会議のモデル事業に携わったが、その時は今後そのような理想的な在宅チーム医療が展開されるのだと大変大きな期待を持ったものである。模擬会議に集まったspecialistたちは、素晴らしい人たちで、私の患者を中心に大変貴重な意見を交換し合った。ケアマネージャとして関わってくれた訪問看護師は有能で、各職種間のサービス調整をケア会議でうまく捌いてくれた。
しかし、いざ実際に介護保険が始まり、患者が主治医意見書を書いてもらいたいと外来を訪れる頻度が多くなっても、ケアマネージャがサービス調整で訪れることはなかった。しばらくして、ケアマネージャからFAXが来るようになったが、こちらの意見がそのケア計画に反映されることは少なかったし、利用者とケアマネージャの間で半ば強引に決まっていくそのやり方は今も変わっていないように見える。今の日本の地域医療担当医が置かれている多忙な日常スケジュールの中では、医師がケア会議に直接出られることは少ないとは思うが、その内容を知り、ケア計画のアドバイスを与えることは可能である。それが患者により良い環境を与えることになるのは明らかだと思うのだが、そうしたケースは今までの三年間でお目にかかったことがない。
つまり、当初描いていた理想的な在宅チームケアというものは、実際には画餅であったということだ。どうしてそんなことになったのだろう。医療・保健の実態を良く知らない官僚が、医療とケアを切り離すことが日本のためであり、「ケアサービスという商品を切り売りしたりセット販売したりする」「業者」を育成して民間に委託すれば、膨れ上がる医療費を何とか抑えられるのだと信じて、画策したからだろうか。さらにその尻拭いを、医療者が「仕方ないね、そんなことをして」と、うまくサポートしているので、何となく齟齬を来たさないで動いている、という図式だろうか。実際のところ、基本的な設計である、ヘルパー派遣、訪問看護、訪問入浴、デイサービス等の時間割を作って、利用者に提供するのにそれほど専門的な知識は要らない。サービス時間を当てはめ、サービス事業者を探すのには、簡単な算数が出来て、電話やFAXが使えれば済むことだ。しかし、重要なことは、こうしたサービスを提供したことにより、利用者がADLを改善させ、地域社会全体で介護が必要な人々とその家族を支えることが出来たかどうかの、評価をすることだ。高い評価が出れば、それは何が良かったのか、低い評価が出ればそれは何が悪かったのかを知って、次にさらに良いサービスをするためにはどのようにしたらよいかを決めていくことである。そして日本のホームケアの質を向上し、高度高齢化社会にあっても、健康で心身ともに健やかな老人たちを作っていくことが大切であり、それが介護保険の目的でもあったはずである。もちろん、雇用を促進し、高福祉社会を目指すためには、第三次産業としての医療およびケアサービスの振興が国の重要な課題であることは間違いのないところである。しかし、そのためには、有機的な繋がりのある豊かな社会作り、倫理観のある人間社会を作り上げていくことが大切なのではないだろうか。
おわりに
居宅療養管理指導の改定という、介護保険のほんの一部分の問題を、どうしてGPネットが取り上げたのだろうか。社会の流れを読むのがマスコミ関係の方々の嗅覚であるから、ここに隠されている深い問題点を引き出すのが目的なのだと思う。呻吟してここに書かせていただいたものが、どのように評価されるか分からないが、私が地域医療担当医として普段感じている体感温度をそのまま感じていただければ幸いである。この特集にはいろいろな職種の立場からこの問題に対して発言をされているようなので、その内容を読者の一人として読ませていただくのを楽しみにしている。
(註:この論文は、GPネット2004年一月号に掲載されたものです。文献収載する場合には「厚生科学研究所」にご連絡下さい)