講演会の内容についての説明


「臓器移植法論議への疑問、〜<立法>にもたれかかる医〜」

  • 日本の歴史の中で、戦後の学生運動というのは、中国における天安門事件や、アメリカにおける黒人暴動にも匹敵する大きな社会的・政治的事件であった。しかしながら、社会が成熟していくにつれ、それは過去の心の傷の一つとして多少の疼きとともに記憶されるに過ぎなくなる。京都大学理学部の学生時代を、殆ど投石で過ごし、大学のあり方を変革するために命を賭けていた米本先生は、今もその情熱を失っていなかった。大学院へ行かなかった時点で、学者にはなれないと思っていたというが、ひょんなきっかけから、証券会社の調査マンは、生命倫理・社会生命科学を研究する素晴らしい科学者に変身した。そのradicalさが、何ともいえない魅力であり、素晴らしい講演内容に一同大変感激した。
    【要旨】1.歴史的に、欧米でさえ1960年代以前は「患者論」というのは本質的に存在しなかった。それまでは、患者に対しては「paternalism(神父が信者に対して教え諭し、正しい道へ導いていく関係)」が基本であって、医者のみが医療内容を自分で決定していればよかった。2.しかし、社会が次第に成熟し、患者が医師の施療に対する内容のチェックをし始め、医療訴訟を起こし始める。そこで医師側は、患者側にその内容を決めさせて、患者にも応分の責任を負わせようと考え始めた。こうした意味で、1960年代の「consumer(消費者)運動」の高まりは、医療のコスト意識を患者側に持たせるようになり、医師の基本的な倫理規範を厳しく監視するために、1970年代にはアメリカ社会が「Bioethics」という考え方を必要とし、社会科学として発展していった。3.1974年には、National research Act(国家研究規制法)が出来、委員会体制(IRB)でガイドラインを次々と決めていくことになるが、このきっかけとして、「黒人梅毒研究」があった。これは、すでにスピロヘータに対するペニシリンの有効性が明確になっていたのにも関わらず、黒人集団のみ「無治療」で経過観察を行った研究である。アメリカ人は、この事実が明るみに出た時、「こんなひどいことを我々の国はやっているのか!」とショックを受け、人体実験を規制するガイドラインを作って、すぐにこれが国際化されることになる。これは、欧米がこの頃までに「medical profession」としての自治を保ちながら、社会の規範を受け入れるという医師の成熟した社会構造を持つようになっていたからといえる。4.このmedical professionというのは、他の二つのlearnd professionであるpetro(神父)とlow profession(弁護士)とともに、強制参加の公的身分団体であり、そのcord(規範)は一般社会に比較すると非常に高いレベルの厳しいcordを持つ。そのために、現職の弁護士には警察権が及ばないし、医師が手術で患者の人体を切り刻んでも罪に問われないのである。5.すなわち、medical professionとしての専門性と独立性は、移植医療や脳死の判定に関してもその力を発揮して、医師達が医療職能集団として独自に決定し、社会はそれを追認するというのが、欧米の考え方であった。しかしながら、日本ではこうしたmedical professionとしての歴史も概念も見当たらず、それが今の日本の医療全体を歪めているようだ。6.いかに委員会の答申を参考にするとはいえ、全くの素人集団である「立法府」の議員が法案としての「脳死」を決めてしまうということを、日本の医師達はどうしてだまって見ているのか、理解に苦しむ。7.先進国といわれる国の中で、こんなことをしているのは日本だけである。自律できない医師集団は、まるで「立法にもたれかかっている」としか見えない。medical professionがしっかりしていれば、もともとこんな論議をすること自体無意味なのである。8.日本の戦後の医療システムを一人で作ったといわれる、GHQのサモス中佐は、どういうわけかこの「medical profession」の考え方を入れたシステム、すなわち「強制参加の公的職能身分団体」を日本には作らなかった。これが、どうも後々尾を引いて、現在の医療不信に繋がっているようである。こう考えると、日本の制度的・構造的欠陥が矯正されない限り、日本の医療はいつまでも二流のままであろう。9.こうしたことが分かっていたのは、一人武見太郎であったようだ。武見は、慶応大学医学部の医局支配体制を嫌って野に下った医師の一人であるが、日本の医療体制のルール作りを大変な危機意識をもって推進していった。10.ルールは、正当性(legitimacy)、権威(authority)、能力(capability)、があって初めて作られるものだが、武見にあったこの三つは、現在は厚生省に移ってしまった。本来は二流の官僚組織であった厚生省に、これだけやられっぱなしになっている日本医師会の能力、権威、正当性のなさをどうにかしなければ、医師が社会的に尊敬される職業であり続けることは不可能であろう。

    「ERCP、最近の知見と治療」

  • 五十嵐先生の年代になると、東邦大学の先輩医師が世田谷区若手医師の会の中も出てくる。「いつからそんなにえらくなったの?と言いたかったが、講演を聞いて成長した先生を知り、大変頼もしく思った」という安部良治先生のコメントも飛び出して、和気藹々とした雰囲気の中、臨床医学の素晴しい発展の一部を楽しく拝聴した。
    【要旨】先生は、昭和56年東邦大学を卒業、昭和59年より新潟県立ガンセンター新潟病院消化器内科で膵胆道内視鏡治療を研修した。ここでは、すでに5000例以上の経験があり、多くの症例を約一年間で学ぶことが出来たとのこと。ここで得た技術を生かし、日本内科学会の指導医、日本消化器内視鏡学会指導医・学術評議員、日本消化器病学会認定医・関東支部会評議員と、多くの業績を挙げている。1.ERCPは禁忌が少なく、急性膵炎やアルコール中毒を除いて多くの適応がある。現在は側視鏡を用い、外来で行うのが通例になっている。挿入に要する時間は約10分程度で、撮影を行った後に約2時間ベッド上安静を保たせれば帰宅できる。ソリタ200ml+FOY300mgの点滴を行い、その間にアミラーゼを至急検査に出して、600単位以下なら問題なく帰せる。年間100件施行し、今年は300から400件に増加しそう。2.EST(endoscopic sphinctectomy)内視鏡的結石摘出術を行うことも多い。3.膵石に対する治療:(1)ESWL(体外衝撃波)、(2)EST(乳頭切開)、(3)EPD,EPS(ステント挿入)4.内視鏡的膵管ドレナージ:(1)経鼻膵管ドレナージ、(2)内視鏡的膵管ステント留置法。この方法で、一年間ステントを入れておくと、慢性膵炎の場合、膵臓の炎症が取れて改善する。膵臓癌でも。この方法でステントを入れると、胆管はそのままに使えて、胆汁は自然に流れるので、死ぬまで黄疸なしに在宅で過ごすことが出来る。患者さんにとっては実に福音である。

    「日本とイギリスの医療」

  • 今回は、日本の医師会を中心とした歴史の表と裏を知り尽くした、元日本医師会理事で現日本臨床内科医会会長である神津康雄先生と、一昨年からイギリスに留学し、ヨーロッパ特にイギリスの医療制度を研究してきた寺崎先生のお二人に、各々の立場から見た両国の「医療制度」を論じていただいた。
    【要旨】まず、日本の医療の50年の流れを神津先生が概観し、日本の医療が「国家官僚と政治家」のパワーゲームに翻弄された過程を振り返り、「一点単価10円という保険点数で首を絞められた日本の医師達は、飼い慣らされた犬になってしまった」と慨嘆した。そして、実は健康保険法の第43条「療養の給付」は昭和59年に改正されていて、保険診療とそれ以外の自費分を医療機関が徴収することをきちんと謳っている、と指摘した。しかし、なお保険医療養担当規則の改訂が終わっていないために、その実施がためらわれているのだと解説した。この改訂は、中央医療保険協議会が取り上げさえすれば省議を通して省令改正が「明日にでも出来るはず」と説明されたが、しかし、それが出来ない神津先生をも含めた日本医師会の実力のなさが悲しい現実でもあるのだ。
    寺崎先生は、「イギリスのNHS(National Health Service)改革」と題して、メジャー政権(保守党)からブレア政権(労働党)への大きな変革を自分の目で見てきた印象をレポートして下さった。英国では3万人の開業医が一次医療(プライマリーケア)を担当しているが、その多くは30-50才代であり、主に数人のグループ医師で活動している(ソロの開業は10%でしかない)。約2000人の住民が一人のGPを選ぶような形になっているが、人気のある先生に患者が集まる傾向はある。しかし、予約が大変で、一ヵ月二カ月先になってしまうという弊害が出ている。最近では、国営ではなくて民間の保険から医療費を支払うシステムが出来、「そちらで支払う」と患者がいったとたん、「明日来ても良い」と手のひらをひっくり返すような対応をする施設が増えてきている、と説明した。また、ホスピスには、奇麗で心和ませる庭が絶対に必要なこと、そして、そのためには庭師を3人雇っていること、独自の事業を興して資金を稼いでいること、その平均在院日数は12日である(日本に比べて何と短いか!)とか、GPは内科は勿論のこと産婦人科、外科、小児科、眼科、耳鼻科、精神科に至る一次医療を担当していること、純収入は平均43990ポンド(約900万円)であること、60才を過ぎたら、もう第一線を引退すること、ジュニアドクター(若いGP)を養成するのに、教育費用として国からきちんと手当が出ていること、など、大変勉強になるお話しをお聞きした。

    「実地医療に役立つ高脂血症の基礎知識」

  • 新進気鋭の若手の研究者のお話しは、聞くものに訴えるものがある。出席した先生方の質問を最後まで丁寧に答えて下さった平野先生の人柄と熱心さに、日頃の疑問をはらして大変満足した我々であった。
    【要旨】1.日本人は冠動脈疾患が最も少ない人種。しかし、総コレステロールが360mg/dlくらいの人では冠動脈疾患の発生率が3倍以上になる。今のところの日本人の総コレステロールの平均値は204mg/dl。220mg/dl以上を高コレステロール血症というので、2月20日を「コレステロールの日」にしよう、という案もある。2.LDLの測定が出来るようになったが、その意味づけについてはまで経験が乏しく、従来からのフリードワールの式を用いる方が分かりやすい。LDL=コレステロール-HDL-T.G./5。3.中性脂肪に対する治療をどうしたらいいかという疑問があるが、T.G.が大きくなると、LDLが小さく(250Å)なって拡散・蓄積しやすくなり、動脈硬化を促進することが分かっているので、これについても出来るだけ下げてあげるのが望ましい。糖尿病性腎症の人は、もっと小さいLDLを持っていて、逆にいうとDMで中性脂肪が高い人は、糖尿病性腎症を持つ人が多い。4.糖尿病でインスリン抵抗性が出てくると、インスリンのシグナルがうまく伝わらないので、インスリン濃度に比例してインスリンレセプターが増える。また高インスリン状態ではNaの再吸収が高まり、交感神経の興奮を高め血圧が上昇する。5.動脈硬化・冠動脈疾患の多い、北米・カナダの糖尿病性腎症患者は、透析をする前に心臓病で死亡することが多い。5.黄色腫にはロレルコが効く。6.天然型のαトコフェノールの極一部にLDLの抗酸化作用があるが、ユベラNにはない。7.高脂血症は運動療法があまり効果がない。

    「AIDSの知識を外来診療に生かす」

  • 開業医のエイズに対する知識はかなり低いレベルにあるといってもよいだろう。日本に顕在的な患者が少ない事がその理由だが、実は潜在的な患者数(特にゲイの人々)は驚くほど多いようだ。国際医療センターで、毎日20〜30人の患者(月300人)を診察している岡先生にとっては、まさに日常診療なのだ。今求められているAIDSの臨床ノウハウをここでは詳しく教えていただいた。
    【要旨】1.AIDS clinical center (ACC)が1997年7月に国立医療センターの中に開設され、日本のAIDS診療と治療研究の総本山として活動し始めた。すべて予約診療で、一時間に5人の患者を診察している。最も大切なのは、服薬指導で、医師と看護婦と薬剤師から懇切丁寧に指導している。2.日本では6000人と言われる患者数が把握されているが、少なくともその5〜6倍の患者数がいるだろう。3.アメリカでは、1981年に始めて第一例の発表があったが、その後急速な増加を来して1993年にはAIDSで4万人が「死亡」している。1995年には5万人が死亡し、この数はベトナム戦争で10年間に死んだ若者の数が5万人だったことを考えると、いかに大変な数字かわかる。まさにアメリカ社会にとっては「AIDS war」(エイズ戦争)なのである。4.ここ2〜3年で、ガタっと死亡者数が減っている。これは、カクテル療法と言われる、プロテアーゼ阻害剤と核酸アナログ逆転写酵素阻害剤とのコンビネーションtherapyが開発され、非常にうまく行っているためである。しかし、患者は今のところ一生その治療を続けて行かなければならず、大変な努力を要することには変わりはない。ここに臨床医のかかわる大切な役割があると理解してほしい。5.治療方針は、以前は発症した患者のみを治療していたが、現在はHIV感染者をすべて治療する方針に変わり、これが死亡者を激減させている要因である。6.AIDSという病気は、A)血清中のHIV-RNA量が病気の進行を示す、ものであり、B)血液中のHIVの半減期は6時間(一日100億から1兆個のウィルスが増える)であり、C)HIVはリンパ節で増殖し、その組織を破壊つくしている、という病気である。こうした理解から、「発病させない」ための治療が考案された。7.また、合併症の治療も大切で、最近ではこの治療がうまくいっているために予後もよくなっているが、このうち注意すべきはCMV網膜炎と非定型好酸菌症である。8.日和見感染に関しては、ST合剤(バクタ)とCAM(クラリスロマイシン)が用いられる。9.治療費の高いことも患者の治療意欲を削ぐものとなっている。特に日本は厚生省からして新薬に高い薬価をつける傾向があり、欧米に比べて高い医療費が必要となる。しかし、日本の企業や役所と違って、欧米の企業にはポリシーがある。Indinavirが日本に入ってくるときに、欧米の3倍近い値段を付けようとしたことにメルク株式会社が大反対し、「メルク社のポリシーとして、全世界統一価格でなければ売りません」と宣言して、今の価格(それでも一ヵ月の薬代が50,940円になる)が決まったという。いかに日本の役所が患者中心の考え方でないかが分かる話だ。

    「小児アレルギー疾患の臨床-特に喘息を中心として-」

  • 地域医療を担当する開業医師は、小児科医師でなくとも小児のアレルギー疾患を見る機会は多い。大学病院で長くアレルギー外来で診療を担当していた吉川弘二先生に、気管支喘息治療のノウハウを詳しく教えていただいた。
    【要旨】1.「喘息は死ぬ疾患である、と認識すべき」ここから先生の講義が始まった。最近ではβ刺激剤のスプレー過剰吸入による心機能障害が原因であることが多く、この管理が大変重要だと訴える。2.小児のアレルギー疾患は、通常は成長するに連れて自然にアレルギーの素因から離れていくので、2/3の患児は心配いらない。しかし、中にはずっと患ってしまうものがあり、この対応が大切である。特に精神的に支えてあげること、親との関係、身近に感作する「さまざまなモノ」を見付け出して排除することの重要性をあげられた。3.喘息治療のガイドラインが出来ているが、インタールの家庭内吸入が大変効果があると、そのノウハウを教えていただいた。4.自分は最近子供にやさしくなったようだ。昔は気付かなかったが、「吉川先生はコワイ」といわれて自分自身ショックだった。やはり若いうちは精神修養が足らないのだが、それが分からなかった。と先生は自分を振り返る。今では「やさしい名小児科医」である先生に、さらにいろいろと教えていただきたいと思う。

    「逝く人へ-大学病院における緩和ケア-」

  • 緩和ケアとは、末期の患者さんに対して行う「痛みのケア」のこと。癌の疼痛コントロールを行い、患者さんのノーマライゼーション(その人らしくありたいと願う方向に闘病生活の質を向上させる)を援助することと理解されているが、日本ではまだまだこうした医療は理解されていない。そこで、都内の大学病院ではめずらしく、システムを作って動いている昭和大学の高宮先生を招いてお話しを伺った。
    【要旨】1.高宮先生は昭和60年昭和大学卒で、外科から現在の緩和ケアチームが平成4年に出来たときに麻酔科所属となった。現在年間100名の癌患者のコンサルテーションを受けて働いているとのこと。日本の癌死亡は年間27万人で、4人に1人は癌で死亡している。2.構成メンバーは、常勤医師2名、非常勤医5名、それにカウンセラー、音楽療法士、事務会計、看護婦。3.「痛み」とは、(1)身体的(2)精神的(3)社会的(4)宗教・哲学的(spritual pain)に分けられる。我々がやるのは、この4つの痛みの軽減と、家族ケア、そしてチーム医療によって患者の主治医をサポートすることである。そこで、高宮先生はときどきオニャンコクラブの女の子に扮してガンバる。4.モルヒネの使い方について、まだ理解が深まっていない。除痛ラダーではまず非オピオイド系、次にレペタン坐剤・ソセゴン経口薬、次にモルヒネを用いる様に勧められている。しかし、モルヒネの水溶薬(10mg/mlから400mg/ml)を用いると、早く至適血中濃度にもっていくことが出来るので推奨される。持続注入器もあり(Nipro infusion pomp SP-10)。スコポラミンを死前喘鳴に用いることもある。5.副作用には、便秘にラキソベロン、嘔気にノバミン、傾眠にリタリンを用いる。普通はあまりひどくでないが、副作用が過剰に出現する場合は、患者さん側の要因が強いようだ。6.Not doing but beingを胆に命じて。「Do not curse the darkness, but light a candle」を座右の銘にする高宮先生は、剣道の達人で、ソマリア難民救済に行ったり、オニャンコになったりする、たいへんやさしい医師だった。

    「クリニックにおけるインスリン治療」

  • 平尾先生には、第五回の講演会においでいただいたが、最近のインスリン治療が外来レベルで始められることを中心に、もう一度名医のノウハウを教えていただくことにした。
    【要旨】1.インスリン治療は、膵B細胞の過度の負担を軽減するために重要な治療であり、特に最近ではNIDDM(インスリン非依存型糖尿病)に用いて効果を上げている。患者さんには、「一生インスリンにならないため、一日でも早くインスリンを打ちましょう」と説得している。実際に、2-3週間打つだけで経口剤に代われる患者も稀ではない。2.食後2時間のC−ペプチドでインスリン分泌見ることを勧めるが、それが0.2ng/ml以下なら基礎分泌も追加分泌も欠如しているので、インスリンを用いる目安となる。最初はペンフィル2回法、朝8単位・夕2単位くらいから始める。3.インスリンの量は患者に決めさせるのが良い。そうでないと、血糖の異常が生じた際に医師のアドバイスを待っていては遅いことがある。血糖・尿糖自己測定を行い、自分の血糖を自分でコントロール出来るようにするのがコツだ。4.血糖は夜中の3時に最低になって、それからは上昇していく「暁現象」というものがあり、正常人でもこの現象があるので、判断を間違えないようにしたい。5.前日の夜に低血糖だと、夜中にもっと下がり、その反動で朝の血糖が上昇する「ソモジー現象」というのがある。こうした時には寝る前に糖質の間食をするように指導する。また、あまり激しい運動も、逆に血糖を上げてしまうので注意が必要だ。6.また、インスリン注射はの際に消毒はまったくいらない、ということを覚えておいて欲しい。通常の清潔感のある患者なら、服の上から刺してもよく、感染はまったく生じない。注射針もいちいち取り替える必要はなく、私の患者で120回同じカートリッジ式注射器を用いたひとがあり、折れるか、曲がるか、先が鈍になって刺すときに痛くなったら替えればよい。7.ここ3年ほどのデーターでは、外来でインスリン導入をして患者でのリバウンドはまったくなく、これは入院による導入より優れた成績だった。8.α-グルコシダーゼ阻害薬は、インスリン抵抗性を改善させるようだ。積極的に用い、頓服でも用いて急激な食後の血糖上昇を抑えることが必要だろう。9.最近、低カロリーの和菓子を開発している。長い治療期間を要する糖尿病の治療では、時に「自由日(やけ食いしても良い)」を与えても良いと思う。そして、患者とともに医師があるような専門医でありたいと思う。「糖尿病のコントロールのために人生があるのではなく、豊かな人生を送るために糖尿病をコントロールするのです」と。

    「湿疹を究める-日常診療における皮膚疾患の見方-」

  • 国立大蔵病院に佐治先生という皮膚科の良医がいる。そのお師匠さんが長島先生である。慶応大学出身の素晴しい皮膚科臨床医であり、日本の皮膚科学のリーダーのお一人として有名な先生だ。本来なら我々の会のような、非公式な勉強会に出ていただける先生ではないが、快くお引き受け下さり、素晴しい講演をして下さった。そして、先生の長年にわたる臨床のノウハウをお話しいただき、豊富な実例、特徴的な写真をたっぷりと見せていただいた。これには一同大変感激し、時間をかなりオーバーしながらも熱心に聞き入ったことは勿論である。
    【要旨】1.湿疹・皮膚炎群は皮膚科疾患の25%を占める。患者は何を訴えてくるか?といえば、発疹を訴えてくるのだが、話を聞くだけではダメで、実際に全身をくまなく見なければいけない。しかし、この「見る」ということが皮膚科医にも出来ないことが多い。2.発疹の成り立ちを見ることが大切。丘疹、紅斑、膨疹のいずれか?その疾患に特有な「個疹」を見極めることが大切だ。3.皮膚科の診断は夜には出来ない。明るいところでしっかりと皮膚病変を見なければダメ。4.全身を見る。顔や手足を見るだけでは不十分。口腔、陰部、肛門、耳の中までしっかりと見る。5.患者の言うことに惑わされてはいけない。「内科で○○の薬をもらってから発疹が出たので、薬のせいでは?」といわれても、「そうかもしれないね」などとは、絶対にいってはいけない。後で問題になる。本当に薬疹に特徴的なものがあるか確かめなければいけない。6.多くの疾患を鑑別するのだが、医師の頭にその疾患の名前が思い浮かんでいなければ診断できない疾患がある。それが慢性肉芽腫性疾患だ。梅毒、結核、ライ、サルコイドーシス、悪性腫瘍(リンパ腫、白血病など)。そして、最後に薬疹を鑑別するという思考過程を身に付けてほしい。7.「湿疹」の個疹は丘疹である。幼児急性湿疹では、湿潤ししょう液性の丘疹となるが、よく見れば個疹を見つけられる。毛のう一致性の丘疹は小児の乾燥型湿疹に見られる。いわゆる「はたけ」は湿疹が苔癬化した局面をいう。アトピー性皮膚炎で見られる顔の湿潤したビラン部分は「感染」で、抗生物質の投与で非常によくなる。尋常性魚鱗癬は皮膚の角質が厚くなった部分に亀裂が入ったもので、乾燥したシーズンには悪く、夏に湿気が強くなると良くなる。乾燥した皮膚というと老人の「皮脂欠乏性湿疹」があげられる。老人の皮膚は皮脂の欠乏によってカサカサし、痒くて掻いてしまって掻破した跡が見られる。線状の病変で紅斑の中に丘疹があるというパターンを見たら、「植物による」接触皮膚炎と考えてよい。特に、プリムラ(西洋桜草)は感作力が強いので要注意。8.湿疹が慢性化すると急性期の丘疹は見られなくなる。外陰部の神経皮膚炎Neuro-dermatitisは象皮様となり、なかなか外用薬が効かない。こうした場合は、strongestのステロイドを用いなければ良くならない。常識的には外陰部にはstrongestは使用してはいけない、とあるが、こうした苔癬化した皮膚はこれでないと効果はない。9.皮膚筋炎で「ヘリオトロープ」と教科書にあるが、これは白色人種の場合で、日本人ではもっと汚い色になる。むしろ眼瞼、顔全体の浮腫を見逃さないようにしたい。また、肩・腕の発赤、膝・肘に粗造な皮膚、爪囲の点状出血、爪角のガサガサなどを見れば皮膚筋炎と臨床的に診断出来る。たとえCPKが上昇していなくても、経過を見ているとこうした例は典型的なものとなる。10.Scratch dermatitisとして有名なのが「椎茸皮膚炎」。その他、SLEの浮腫性紅斑、丹毒、シェグレン症候群の紅斑(環状紅斑は特徴的)。11.「飛び火」は黄色ブドウ球菌による感染症。新生児剥奪性皮膚炎(リッター)はニコルスキー現象(ツルッと皮膚が剥ける)が陽性になる。アトピー性皮膚炎にherpes simplexが感染すると水痘様発疹症(カポジー)になる。12.TEN(toxic epidermal necrolysis)は、ライエル症候群に見られるのと同じ全身の水疱、紅斑で、薬剤による全身の火傷のような重傷疾患。ステロイド治療、補液できちんと管理しないと致死的な経過をとる。13.疥癬は過去30年毎に流行があったが、今はずっと感染がある。非常に強い痒みがあり、指の股の「疥癬トンネル」、陰部の結節を見れば間違いない。14.白癬は感染症であるので、境界が明瞭で堤防状になる。そして、中心治癒があって外側に広がるように見られる。


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