ネットワーク医療の夜明け
〜世田谷区若手医師の会が辿ったこの6年〜
はじめに
大学を離れて世田谷に開業をしてから、そろそろ8年になろうとしているが、この間、いろいろな経験をし、いろいろな悩みを抱えた。以前は大学病院で行われている医療が当たり前と思っていたが、残念ながらそれは日本の医療のスタンダードではなかったし、地域の患者を中心に考えると、理想的な医療でもなかった。
ここでは、従来型の地域医療から、第三の医療としての在宅医療時代を迎えるにあたって、今後臨床医にとって必要となる「視点」を解説し、我々が今までネットワークの整備のために辿った道を振り返りながら、来る21世紀を睨んでの話しをしてみたい。
医学教育と医師の成熟度
日本の医学部では、知育のみで医師としての徳育が不足し、さらに病院実習中心に教えられる医療によって、学生の目指す医師像は未熟で歪んだ医師像になっているといわれる。最近はそうした反省から、地域医療を担当する開業医師に、大学では出来ない部分の教育を任せようとする動きも出てきたが、まだまだの感がある。協調性のある医師、礼儀正しく、患者には愛情を、コ・メディカルとはイコールパートナーとしての心構えをもって接することの出来る成熟した医師像を、大学はきちんと示して育てていかなければならない。
最近の勤務医の大多数は、開業して地域医療を担当することに強い不安を感じているようだ。1960年代までのアメリカがそうであったように、今までの日本の医療は、いわゆるパターナリズム(神父が信者を導くように、医師におまかせで医療を受けるやり方)で十分問題なくやってこられたが、近年日本で高まっている消費者意識に加え、各種のメディアを介しての氾濫する医療情報により、医学・医療が身近なものとなるにつれ、地域社会で求められる医師像は次第に成熟したものとなっている。最近の若い医師たちは、そうした社会の要求に応えて、なおかつ自分の理想とする医療を提供し、その上十分な収入を得て生活できるかどうか、自信が持てなくなったのではないだろうか。
世界は今、病院医療・介護の非効率的な部分を切り取り、患者の居宅を中心に、在宅医療、在宅介護にシフトしている。四月から始まる介護保険もその一環だ。こうしたポリシーを教える教育スタッフに相応しいのは、地域社会できちんと受け入れられて、日本の医療全体に明るい、成熟した開業医師たちだ。今後は、彼らに臨床教授となって大学に戻ってきて欲しいと招聘する必要があるだろう。
世田谷区若手医師の会のポリシー
今では、日本各地に若手医師の会があって、それぞれ活発に活動しているようだ。日本医師会も、平成10年に49歳までの医師を日本全国から集めて「未来医師会ビジョン検討委員会」を立ち上げ、多いに若手の医師に将来を語らせた。その結果は本年四月、坪井日本医師会長に答申書という形で報告されることになっている。
我々の会は、こうしたムーブメントに先駆けて、平成6年11月に発足した。その後「世田谷区若手医師の会のホームページ」という形でインターネット上にウェッブを張ったが、その最初のページに以下のようにその目的を掲げた。
「目的:30歳代から40歳代までの若手医師の間のコミュニケーション作り。この会(Setagaya-ku young physicians information society)は、若手の先生方の勉強のお手伝いをし、情報交換の場を作り、若い開業医が自由に発言し、自由な発想で次の世代を構築していく、そしてそれが我々の医療のレベルを上げ、ひいては患者さんにその技術を還元することが出来る、ということを目的としたものであり、それ以外のなにものでもありません。この情報ネットワークの輪が、大きく広く広がっていくことを期待してやみません。
会員資格:1.30歳代から49歳までの医師。2.世田谷区内の若手開業医、またはそれに準ずる医師で入会を希望するもの。前向きに勉強したいと思っている方、friendshipのある入会希望の方が多く集うことを期待しています。」
この会のことは、様々なメディアで紹介され、新しい地域医療を目指す医師たちの歓迎すべき活動として一般社会に受け入れられた。すでに、会は45回を重ね、世田谷区の若手医師たちの精神的なバックボーンとなっている。この会が長続きする理由は、幹事たちのボランティア精神と、会員の個性と自由な精神にある。それを言葉にすると、自由、フレキシビリティー、非権威主義、非学閥主義、非年功序列、自己責任、ギブアンドテイク、個人の専門能力を尊敬し尊重する、などとなるだろうか。肩肘張らずに、さらりとやってのけるのがコツかもしれない。
自由という意味では、参加も自由、不参加も自由、入会も脱会も自由、会が始まっても、どの時間に入っても抜けても自由、食事を用意するので、講演やディスカッションの最中に食べていただいて結構、ビールでもワインでもウーロン茶でも、何を飲んでも自由と、普通「会」というとありがちな殆どの制約をはずしてしまった。
というのも、開業していると、それぞれの診療時間が異なり、急患が入ったり、診療が長引いたりと、全ての人がきちんと同じ時間に集まることができるはずがないのであって、勿論夕食を食べてから会合に出る暇などない、これが地域医療を担当する医師たちの特徴だと考えたからだ。
従来からある医師を対象とする一般的な会は、主催する会社や病院勤務の医師に都合の良い時間に始まり、夕食の弁当やパンに牛乳を片手に抱えて会の途中に入れてもらうには、気まずく入りにくい雰囲気がある。これではいけない、脂の乗った若い地域医療担当医たちこそが、もっと中心的に情報交換し、人的交流を図り、そのネットワークを通じて、患者に良質な医療をフィードバックする機会が豊富になければならない、とそう考えたのも自然なことではあった。
こうした情報交流が、その後インターネットやE-メイルなどの電子的な医療情報ネットワークへと向かっていくのだが、会に講師として参加して下さる先生方には、フレンドリーで、次の日に「昨日世田谷区若手医師の会でお会いした山田ですが、患者さんをお願いします」と電話しても、「分かりました」と気軽にいって頂ける先生ばかりを選んだ。それもこの会を中心に、飛躍的に大学病院や国公立病院、各種研究所や研究機関との診療連携の輪が広がっていく理由でもあった。
地域医療担当者の情報不足
我々が大学病院や一般病院で勤務していた時には、それぞれの医師の情報はある程度きちんと分かっていて、その上でキーパーソンとなる医師に受け持ち患者の診療連携をお願いしていたし、教授といえども臨床医としての腕や人柄の悪い人には頼まなかった。
しかし、こうした診療に重要な情報が、地域に入って開業してみて極端に少ないことに驚いた。看板に出ている標榜科目が、決してその医師の専門や得意な医療範囲を示しているとは限らない、ということを知ったのもその頃だった。医師会のいろいろな会に出てみても、ゴルフの話や当り障りのない話題で終始し、我々が知りたい連携医療情報が出てこない。医師会事務局にならそうした情報が取り出せる形でデーターベース化されているかと思って連絡をとってみると、事務員が「医師会にはコンピューターなどありません。まだワープロしかないんです」と返す答を聞いて、これは正直何とかしなくてはと思った。
まず最初に、我々がやりはじめたのは世田谷区若手医師の会の名簿作りだ。この名簿には、電話番号やFAX番号、住所だけでなく、臨床の得意分野、出生地、学歴、研修機関・内容、専門医・博士号等、学会活動、家族構成、趣味、将来の目標、自分の信条など、お互いを知ることが出来る、自分が会員に公開しても良い、という情報を字数の制限なしに書いてもらった。これを私がコンピューターの中に入力し、ある程度集まった時点で何回か名簿集を作って配布した。しかし、この名簿は会員以外には公表することはなく、それをコピーしてオープンにしてはならない、という紳士協定を結んだ。この名簿で、我々は地域に開業している仲間のお互いの詳細な情報を知ることが出来た。
在宅医療研究会
私が考える地域医療とは、地域に根ざした医療という意味だ。この場合の「地域」とは、時間的・空間的な事物を共有し、さらに文化的・歴史的な記憶や生活態度を共有する場所をいう。「医療」とは、医師を中心として疾病を治療し、健康を維持・促進し、さらに、新たな疾病を予防するために行われる、社会科学的な活動を総じていう言葉と定義しよう。私は神経内科医として、神経難病の患者を居宅で診察することを開業する随分前からやっていた。勿論無料のボランティアとしてだが、大学の仕事を終えて出掛ける往診に、御車代を出してくれる家族は多かった。その意味では、他の医師に比べて当時から在宅医療に慣れていたともいえる。ところが、いざ開業して在宅医療を本格的にやろうとした時に、思わぬ障害が立ちはだかった。それは、むしろ患者を在宅へと送り届けて、連携を取ってもらえるはずの「病院医療」サイドからだった。今では考えられないが、6年前は病院の勤務医もナースも、「在宅医療」でどんな事が出来るのか、全くといっていいほど知識がなく、自分たちも病棟で手を焼いているのに、こんな大変な患者を自宅へ連れて帰って管理が出来るわけがない、というのが彼らの考え方だった。これには困った。
そこで私が考えたのは、次のようなフローチャートである。充分事前に連絡をもらい、入院中に診察を兼ねて患者・家族に会いに行く。この時に、もし必要なら、腰の写真を撮っておいて下さい、電解質のデータはもう一度再検しておいて下さい、などと主治医に直接お願いをして、病棟で話し合いながら充分なデータの提供を受け、患者・家族にはこれから提供される「在宅医療」の内容をインフォームし、承諾を得る。特に、必要な物品を確保したり、技術的な指導を受けたりする必要がある場合には、病院主治医と共同で在宅医療への導入準備を行うことが大切である。また、病院には、バックアップホスピタルとしての全面的な支援を約束してもらい、在宅主治医が患者の病態急変時に受入先を捜さなければならないなど、大変な思いをしないですむように協力体制を作っていただくことが大切である。そして、ここに、病院のメデイカルソーシャルワーカーに介在してもらい、福祉関連の必要な資源の提供をアドバイスしてもらう。こうして、受け入れ準備が整ったところで、退院の日取りを決め、訪問看護婦、ヘルパーなど、当日に病院側の看護婦から申し送りが出来るようにスケジューリングする。こうしたことが、次第に一般的になってきて、今では、当然のように行われているようで、大変うれしく思う。
こうした個々のケースの他に、これらの困難を共有する人たちと、共に勉強をし、在宅医療のノウハウを蓄積し、作り上げていこうと立ち上げたのが我々の「在宅医療研究会(世田谷)」だった。今まで述べたように、地域にある病院側と地域をベースに働く在宅側との、より良いコミュニケーションがなければ、真の意味で地域医療としての在宅医療は成り立たない。そこで、この在宅医療研究会でとった我々の方法は、出来るだけ病院内のスタッフに聞きに来てもらい、我々と一緒に在宅医療における諸問題を考えてもらおう、ということを目的として、それぞれの病院内の会議室や集会室で研究会を開く事だった。
第一回は関東中央病院で開き、その時の大会長を小澤副院長にお願いした。以後、国立病院東京医療センター、都立荏原病院、東京医科大学、日本大学医学部、東邦大学医学部付属大橋病院、などで開催し、世田谷区医師会館や世田谷区民会館では一般市民を交えたシンポジウムなども行った。詳細は文献に譲るが、こうして世田谷地域での診療連携が可能なように着々と基盤整備を進めていったのだ。
チーム医療
開業医は独立独歩で、同業の専門的な医師や看護チーム、あるいは、企業の専門家などと共に手を組んで行うチーム医療に慣れていないといわれている。しかし在宅医療を行う場合には、主治医一人だけでは、物理的にも時間的にも、また心理的にも不可能だ。当然多くのスタッフが関わるチーム医療が基本となる。患者の細かい観察を欠かさない事は、早期発見・早期治療につながる。この十分な観察があれば、多くの場合、大事に至る前に適切な処置を施すことができるというわけだ。私はこれを「予見性の医学」と呼んでいる。そのためには、医師が訪問する時だけでなく、他の多くのスタッフによる情報を常に収集し、整理し、主治医の判断によってチーム全体が患者中心に動くという環境を整えておくことが是非必要だ。
チームには、看護婦、保健婦のみならず、メディカルソーシャルワーカー、理学療法士、ヘルパー、訪問管理栄養士、訪問薬剤師、入浴サービス、在宅酸素機器提供企業、介護用品提供企業、ショートステイ施設、デイケア施設、歯科、皮膚科や耳鼻科、整形外科や精神科の医師など、多くの領域のスペシャリスト達が入ることになる。
連携が必要だと納得すること
在宅医療に対して使命感に燃えるのは結構なことだが、自分の出来る範囲以上のことをやろうとすると、無理が来る。在宅患者の数が増えれば、それだけ収入も増えるが、それに応分の責任も増え、常に緊張した生活を強いられる。時間的な余裕もなくなって、好きなクラシック音楽も聴けなくなるようでは、患者にたいする影響も大だ。結果として身体をこわし、休診するようではかえって患者に迷惑を掛ける事になってしまう。こんな環境で在宅医療が行われるようでは、在宅医療の本来の良さ(ホリスティック・メディスン)が失われてしまう。自分が出来ない部分は、他のチーム・スタッフに遠慮なく頼めるような環境作りこそが大切だ。同僚の、地域を同じくする医師達とグループ診療を試みること、他の専門医に診療を依頼すること(褥瘡の治療に皮膚科医師を)、訪問看護婦にある部分の処置や採血を依頼することなど、無理をしないで在宅医療の質を確保する工夫を行うことも、長く良質な地域医療を提供するためには必要な事なのだ。
おわりに
先日、毎日100通あまり開いているメールの中に、某訪問看護ステーションの訪問看護婦からのメールを見つけた。「Kさんの胃瘻のチューブですが、色がついています。画像を送りますので見てください」とある。添付された画像を開いてみると、ピンボケのデジカメの画像を貼り付けてあった。署名も何もなく、明らかに初めてのメールのようだ。返事には、メールの初歩を講義して、明日訪問診療に行くので、見ておきます、と書いた。実際には、下剤の粉末が少し残ってそんな色になったらしく、私が訪問したときにはすっかりきれいになっていた。
これからは、コ・メディカルとこうした電子的な連携のやり取りがどんどんと進むはずだ。クリニックにいながらにして、ICUのモニター類を眺めるように患者の生体情報が逐次得られるようになるのはすぐそこだと感ずる。「えっ?こんなことで入院するの?なぜ在宅で治療を受けないの?」といわれる時代が、もうその坂の向こうに見えている。
この論文は、「日本医事新報」誌上で平成12年に発表したものです。
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